こんにちは。
学術系VTuberと学ぶゼミから派生して、不定期で「おすすめの学術系VTuber動画」を投稿しています。
今回は、こちらです。
【ゆっくり解説】古代朝鮮は日本が支配していたのか?古代史最大のタブー「任那」について解説・考察(動画01)
https://www.youtube.com/watch?v=1lRBBi5i6po
この動画をおすすめしようと思った理由は、日本の前方後円墳(箸墓古墳、3世紀)のほうが、朝鮮半島南部の前方後円墳(5世紀~6世紀)より古いことを、朝鮮半島の南部を日本(倭)が勢力下に置いていた根拠として挙げていたからです。
さて、任那(みまな)についてご存じない10代が多いと思うので、そこからお話ししていきます。
先日、17歳の子ども(もう一人の代表理事である渡辺実結)の中学のときの歴史の教科書(平成27年3月31日検定済、教育出版)を読んでいたら、
「4世紀ごろの朝鮮半島の南端には、伽耶(加羅)諸国が分立していました」
と書かれていました。
私は1969年生まれで、1980年前半に中学生でしたが、当時の教科書には、朝鮮半島の南部に任那日本府があったと書いてありました。
だから、562年に任那日本府が滅亡するまで、200年くらいの間、朝鮮半島の南部を日本(倭)が支配していたらしいと、ずっと思っていました。
しかし、今の教科書には「任那」の文字すらないことにビックリ!
教科書には、
「大和政権は、4世紀ごろ、鉄や進んだ技術を求めて朝鮮半島南端の伽耶諸国と関係を深め、百済とも同盟を結んで高句麗や新羅と戦いました。5世紀に入ると、大和政権の大王は、中国の南朝に何度も使いを送り、皇帝の権威を借りることで、倭(日本)の王としての地位を高め、朝鮮半島の国々との関係を有利なものにしようとしました」
と書かれていますが、伽耶諸国を任那日本府に置き換えると、私が40年くらい前に教わった内容とだいたい同じです。
それでは、なぜ任那日本府ではなく、伽耶諸国と記述されるようになったのでしょうか?
加耶南部諸国と倭ㅣ田中俊明 敎授(滋賀県立大学)(動画02)
https://www.youtube.com/watch?v=ZQ6UZMvIvZI
を視聴しました。
これによると、任那国は、加耶南部諸国の中のひとつの国で、倭は、任那国を含めた加耶の南部の諸国と4世紀に同盟関係に入ったのだそうです。
そしてまた、広開土王碑(好太王碑)は、高句麗の長寿王が414年に建てた巨大な碑ですが、その碑文では、倭は高句麗自身と対峙する大きな勢力とされています(「王が倭の軍と戦い、これを破った」ことが書かれていると、教科書でも言及されています)。
ということは、今のスタンダードな考え方は、
・任那に日本の出先機関があったとか、任那が日本の領土だった、というわけではない
・しかし倭(日本)は、任那国を含めた加耶の南部の諸国と深い関係にあり、朝鮮半島の南部で(高句麗王が父王の業績として勝利を述べたくなる程度の)大きな勢力をもっていた
といったところみたいです。
ただ、ここで疑問が生まれます。
日本列島にある倭が、伽耶の南部の諸国と深い関係にあったとしても、高句麗から敵視され、対等に戦うほどの勢力でありえたのでしょうか?
のちの豊臣秀吉による朝鮮出兵を考えても、日本列島から船を出して朝鮮半島に渡り、戦うのは大変なことです。
伽耶の諸国から食料などの補給を受けられたとしても、大勢の人間が移動するとなると、ねえ…
朝鮮半島南部にすでに拠点があった、と考えるほうが自然な気はします。
あるいは、当時は中国~朝鮮半島~日本列島の人や物の行き来が盛んだったので、朝鮮半島に、日本列島にもいる○○人の拠点があった、と考えられるかもしれません。
それが「倭人」だったりするのでしょうか?
では、倭人とはなんでしょうか?
教科書は含みのある表現をしています。
「中国では、日本のことを「倭」、日本人のことを「倭人」とよんでいました」
しかし中国が、例えば、魏呉蜀の三国で覇権を争っていた頃の中国が(有名な「魏志倭人伝」を念頭に置いています)、朝鮮半島や日本列島を厳密に区別できていたでしょうか? 日本列島の現状を正確に把握できていたでしょうか?
三国志好きの方は、「無理、無理」と言うと思います!
時代は遡りますが、漫画『キングダム』の主人公の1人、秦の始皇帝が晩年に不老不死を求めていたため、方士の徐福が「東方の三神山に長生不老の霊薬がある」と言って東方に船出したものの、秦には戻らなかったそうです。
徐福が日本に定住したという伝承はありますが、「三神山」が中国大陸、朝鮮半島、日本列島…どこにあるのか、いまだにわかっていません。
一方、『東方見聞録』は、マルコ・ポーロが13世紀後半にアジア諸国で見聞した内容をもとにした旅行記ですが、彼が中国で聞いた「黄金の国ジパング」の話は、当時の中国人が東方に抱いていた素晴らしい幻想だったと思われます(現代日本人にとっては荒唐無稽ですらあります)。
つまり、中国の人々にとっては東方の現実なんて、正直に言えばどうでもよくて、「倭」は東にあるどこか、程度だったのではないか、それは朝鮮半島だったかもしれないし、日本列島だったかもしれないし、その両方だったかもしれない、と考えられないでしょうか?
よくわからなくなったので、逆から考えます。
現代の考え方では、国家は以下の3つの要素から成るとされています。
・主権(政府)
・領土
・国民(永続的住民)
3世紀、4世紀くらいの日本列島や朝鮮半島の国々には、おそらくその意味での政府はなかったし、領土もなかったし、国民もいなかっただろう、と思います。
小さな国がたくさんあって絶えず争っていて、国と言っても組織化された機能的な政府はなく、国境も不明確で、住民は戦争が起きたり飢饉が起こったりするとほかの国へ逃げ出してしまう、というような状態だったのではないでしょうか?
と考えると、任那に、現代人がイメージするような、日本人が住み、日本の政府機関のある、日本の領土(誤解を恐れずに言えば、植民地)があったはずがありません。
ただ、任那などの朝鮮半島南部に、現代日本人とつながる人々は住んでいただろうし、日本列島の国から派遣された役人がいたかもしれないし、そうした人々が多く住む地域があったのかもしれません。
当時の日本列島や朝鮮半島は、今よりももっと曖昧で複雑だったのではないでしょうか?
という次第で、任那日本府という言葉が教科書から消えたのは、至極もっともなことだと納得しました。
ただ気になるのは、動画01で、日本の前方後円墳(箸墓古墳、3世紀)のほうが、朝鮮半島南部の前方後円墳(5世紀~6世紀)より古いことを、朝鮮半島の南部を日本(倭)が勢力下に置いていた根拠として挙げていたことです。
ここまでわかってきた!前方後円墳の謎!!【ゆっくり解説 】(動画03)
https://www.youtube.com/watch?v=7dGUqVl7c_Q
によると、前方後円墳自体は日本独自の形で、古代中国にはこのような形の墳墓は存在しないようです。
漢字、呉服(和服、着物)など、いろいろと中国の真似をしてきた日本に独自のものがあったとは、驚きます(写真なんてない時代ですから、持ち運びのできないものは真似しようにもできなかったのでしょうが…)。
しかも、近年、ミラノ工科大学などの研究グループが Google Map で日本全国158基の向きを調べたところ、多くの前方後円墳の方形の側が、一年を通して太陽と満月に向くように配置されていたそうです。
つまり、偶然とか、なんとなくで造られたものではなく、明確な意図をもって造られた墳墓であり、それだけの墳墓を造れるだけの勢力が、当時の日本列島には存在した、と言えましょう。
そして、
箸墓古墳 卑弥呼の墓? 古代史最大のミステリー、邪馬台国候補地の前方後円墳を検証する(動画04)
https://www.youtube.com/watch?v=8mmeWfbcPtA
によると、箸墓古墳は3世紀中頃に築造された、最古の前方後円墳であると考えられているそうです。
だとすると、より古い前方後円墳のある日本列島の人々が、より新しい前方後円墳のある朝鮮半島南部に進出した、と考えるのが自然ですよね。
朝鮮半島最大の古代の墓を発掘後に埋めた理由...【ゆっくり解説 】(動画05)
https://www.youtube.com/watch?v=_P_nYTycrHA
には、朝鮮半島南部の前方後円墳をはじめとするさまざまな墳墓について詳しく語られています。
ざっくりまとめると、今は、日本列島の前方後円墳を模倣した前方後円墳が朝鮮半島南部にあること(日本列島のなんらかの影響が朝鮮半島南部に及んでいたこと)は認められており、誰が、どういう背景で埋葬されたかが議論されている段階のようです。
30年後、40年後くらいにはもっとわかってくるかもしれませんね~
ただ、ひとつ問題があります。
【驚愕!!】 ここまで判明した箸墓古墳!卑弥呼が眠っている!?(動画06)
https://www.youtube.com/watch?v=lhLMkU5NH-I
によると、宮内庁は箸墓古墳を第7代孝霊天皇皇女の倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)のお墓としており、宮内庁は天皇家のお墓を発掘することを許可しません。
元となる日本列島の前方後円墳を調べられなければ、朝鮮半島の前方後円墳についてもわからないのですがね…
とは言え、希望のタネもありまして、物質を透過する「ミューオン」という素粒子を利用し、内部の構造を解明するための科学調査が行われているそうです。
この調査で、もしかしたら埋葬室のような空間の存在が確認できるかもしれません。
最後に「ミューオン」について、サラっと見ておきましょう。
世界三大墳墓について、聞いたことはありますか?
・世界最大の前方後円墳である大仙陵古墳(伝仁徳天皇陵)
・秦の始皇帝陵
・世界最大のピラミッドであるクフ王のピラミッド
です。
そのクフ王のピラミッドでは、2017年に、日本・フランス・エジプトの共同研究チームによるスキャンピラミッド計画が行われ、大回廊の真上、地上から60から70mほどの位置に巨大な空間があると発表されました。
森島邦博 特任助教が率いる名古屋大学の研究チームが、ミューオンを利用して、まるでレントゲン写真を撮るように、ピラミッドを傷つけることなく、その内部構造を可視化することに成功したのです。
ピラミッドの巨大新空間を科学的に発見
ピラミッドに未知の空間! 古代エジプト“新発見”に研究者の対談で迫る
クフ王のピラミッド内に巨大空間を発見!
すぐ上のJST(科学技術振興機構)のページによると、ミューオンは、火山観測や地下空洞などの社会インフラの点検技術としても期待されているそうです。
「ピラミッドなどの遺跡調査は、この技術の応用例の1つにすぎない。例えば、東日本大震災で事故を起こした原子炉内部を観測、炉心溶融が起きていたことを確認した。道路の陥没事故を未然に防ぐための空洞調査や、火山のマグマの様子をとらえて噴火の予測に役立てようとする実験も進行中だ。将来的には、富士山の調査でも検討しているという。もともとは素粒子の観測のための基礎研究が、思いもよらぬ形で私たちの生活に役立ちそうだ」
THINKERS(シンカーズ)
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